“汝らの天の父が純全なるがごとく純全なるべし”と福音書に言われている。これはキリストが人間に神様のようになれと命じているのではなく、万人は神の純全性に少しでも近づくよう努力しなければならないと言っているのである。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
引用中に引用されているのは「マタイによる福音書」5章48節ですね。
人間が神と同じレベルの純全性を持つことは不可能ですから、意味合いとしては「神の純全性に近づく努力をせよ」という戒めであると捉えることが多いようです。
普通に無理難題を言っているだけとはならないのがいいですね。
ちょっと脱線しますが、ここで言われる「純全」は新約聖書原典の古代ギリシア語で「τέλειος」(テレイオス)と書かれているそうです。
英語にするとperfectやcompleteと訳されるみたいですが、この単語が神に使われるのに対し、信仰者のことは「νήπιος」(ネーピオス)という単語を使っているようです。
これはchildやinfantと訳されるそうですから子供という意味ですね。
この「純全」は、(霊的に)大人な、(霊的に)成熟した、と捉えられそうです。
というわけで、精神的に大人になる努力をしよう、という風に言っているようです。
簡単なことを難しく言っているように感じてしまいます。
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