神を求めない者にとってのみ、神は存在しない。神を探し求めはじめるや否や――神は君のなかにあり、君は神のなかにあるのだ。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
神を求めるというのは、自己反省してよき人間になりたいという願望のことと言えると思います。
何か困ったことがあった時だけ神頼みする、みたいな場面は適用されないと考えられます。
というのも、トルストイの表現する信仰では、神は人間に霊(精神)を分ける存在であり、人々を融和する愛そのものであったり、世界のはじまりだったりするので人間の願望を叶えたり私利私欲を満たしてくれる人格ではないからです。
自己反省すると、自ずと良心のことをきにかけるようになるでしょう。
良心とは霊(精神)が示す神の威光なので、神を求める=良心を気に掛ける=神は君の中にあり、君は神の中にある
というふうに読めます。
逆に、良心のことを気にしない生活をする場合は神を気にすることがありませんので存在しないと同じですね。
ここでも、神は人格のある存在者ではありませんので、物理的・概念的に存在しないのは当たり前です。
つまり、この理論では自分次第で善い生き方ができる。善い生き方とは信じる思想による。とも言えるかもしれません。
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