肉体労働は、くだらぬお喋りを免れさせてくれるというだけでも、すでに有益である。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
この一文だけで気難しいおじいさんを想像できますね。
特に土地の所有に関して、自ら耕すことが所有の正当性というスタンスを持っていたようですから額に汗して獲得することにこだわりがあったんだと思います。
旧約聖書にも「額に汗して得たパンを食べ」といったように働かざるもの食うべからずな言葉がありますね。
しかし貴族や僧侶や特権階級の人々は肉体労働はしませんでしたので、キリスト教が国教になっていく中ですでに歪みが出ていったのではないでしょうか。
そこから公会議や解釈を与えることを経て、特に生活に根差した宗教(教会キリスト教など)はトルストイらの批判を受けるに至る運営になってしまったのでしょうね。
弱者を啓蒙する行動が体制側に取り込まれてしまって、それがコモンセンスになっていったのですからオリジナルの姿をとどめていられるわけがないんですよね。
歴史上のイエスが行動していた当時、ガラリヤの民衆はほとんど日雇い小作人か奴隷で、日銭を稼いで食いつないでいたそうです。
イエスが「額に汗して得たパンを食べ」というフレーズを使っていたとしたら、むしろ体制側への批判や皮肉が濃いと思われますね。
トルストイは貴族の生まれでまさに体制側ですから、その批判を真に受けたと思います。
こういう自分の生まれと理想のギャップが積もり積もって最期の家出につながったのでしょうか。
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