いたずらにこの世の生活の中に幸福を探し求めたあとで、疲れ果てて両手を神へ差し伸べるとき、人々はどんなに喜びをかんずることであろう!(パスカル)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
祈りがテーマでした。
他の箴言に、現実世界の1個体である人間がいかにして神に祈ることができるか?という考え方はいいなと思いました。
つまり、直接認識はできないが、自分と神の関係は認識できる。なのでその関係性から神を意識するのであると。
『老子』の道も、天地創造の母で名前を付けることはできないという考えでしたので似通ったことが感じられます。
神や道は人間が認識できるものではないが、その関係性を働き結果から意識することができる。
となると、祈りは理性(知性)の賜物のように感じられますね。
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