真に必要な唯一の学問は――人間いかに生くべきかについての学問である。そしてそれは万人の手に届く学問である。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
現代のように高度な技術や複雑な専門知識が発達しても、古代から今まで変わらない問いが「いかに生きるべきか」というものですよね。
いかに生きるべきか、言い換えれば実際の日々で起こる様々なできごとに対してどのような選択をとるべきか、ということだと思います。
自由意思があると思っていますから、選択は自分の思想信条によって律せられる(時には律することができないけれども)わけですから、自ずと信仰が大事という論にたどり着くようになっています。
自然科学が発展し、あらゆることが客観的事実で説明できるようになりつつあるし、そうなるだろうと当然信じれる現代ですが、それでも信仰が人間個人と社会に貢献する余地はあると思っています。
愛や同情や謙譲のこころは信仰(身近な言い方では人にやさしくするための教育程度のものだと考えていますが)を育てることが必要なのではないでしょうか。
生物学では、チスイコウモリをはじめとして互恵関係を、生存に有利な合理的な生態であると解明していますが、まだ言葉に言い表すことができていないその先の互恵を超えた生き物の行動、それにまつわる感情、それを再現させるための社会の作用、こういうものを信仰と捉えていくことはいいことだと思います。
そして、それを追求していくことは無駄骨ではないと思いますしすべての人がそうすることですべての人に利益があるように思っています。
そのようなことを真の学問、と考えていたのだったらうれしく思います。
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