人間は理性によってのみ、ほかの動物と区別される。ところがその理性を鍛錬発達させる人々もいるけれど、大部分の人がそれを無視している。まるで、自分と畜生とを区別するいっさいのものを拒否したいと思っているかのように。(東洋の金言)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
東洋の金言と言っていますが、これも出典は怪しいです。
具体的にこの箴言に出典があるのではなく、儒教や仏教にこのような概念があるので東洋の金言としたか、創作したかされたものを読んだかでしょう。
近しい言葉を考えると、仏教でいえば無明の概念が近いかもしれませんね。
人間の苦しみは真理への理解の無さ、すなわち無明が原因ということで、このような苦しみから脱するために訓練して真理を理解しようということですね。
無明の状態は動物的欲求の生活をする人と言えますし、理性が鍛錬発達できるものというのも座禅や修行などで改善可能と考えるところも親和性があります。
現代の感覚から言うと、理性の無いものは人間に非ず的な過激な思想のように感じます。
愛だなんだ言っているのに見下してますよね。東洋の金言だからいいのかもしれません。
コメント