汝の右の手のなすことを、左の手に知らしむべからず。(「マタイ伝」第六章三節)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
親切や施しをする時には、右手でする場合左手にも知られないくらいこっそりやりなさい。
という意味で知られているフレーズですね。
善行は褒められるために行ったら偽善であるとか善行ポイント落ちるとかそういう価値観ですから、これは特に善行に対するフィードバックが自己完結することが貴いということですよね。
自己完結という中にも、神を信じているので神に貢献する=良心に従うという図式があると思います。
そういう心持だからこそ自己犠牲を伴う施しができるのであって、それが貴いということですね。
社会互恵性という理屈が無い時、神を信じることが助け合いをスムーズに広げることになるんですね。
そして結果的には互恵関係が作られると言えるのかなと思います。
キリスト教の謙虚と日本的な謙虚のニュアンスが違うのもこのあたりに起因していそうですね。
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