『文読む月日』-7月30日

文学
われわれは自分のなかを探せばほとんどいつも、われわれが他人に対して非難しているのと同じ罪を発見するものである。たとえそれと同じ罪を犯した覚えがないとしても、探しさえすれば、それよりもっと悪い罪が見つかるであろう。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

罪を比較するという考え方自体は、神の完全性を引き合いに出して人間の脆弱さを根拠に人間同士優劣をつけることはできないという理屈だと思います。
完全な存在に比べれば人間は謙虚にならざるを得ないという、裏を返せば完全な存在であれば謙虚である必要はないし他人を批判できる権利があるという理屈になるわけですね。
神が人間を罰することができるのは完全な存在だからというわけです。
他の人より圧倒的に優れている人でも神に比べれば取るに足らないと言えるわけです。

この考え方で平等さを論じているわけですので、人類皆うしろめたさを抱えていなければ同じ土俵に立つことはできません。
そのうしろめたさのため服従している姿勢を謙虚と言っているわけですね。
迫害されている人たちにとっては共感を得やすく、敵対者に対して精神的な優位があるのだとすら感じさせるのではないでしょうか。

歴史的には、結局教会ですら優劣をもち権威的になったため原理主義の方向へと分離していった現実があります。

また、基本的人権が浸透した今の我々には、人間は皆うしろめたさを抱えているんだから謙虚になれと言われても理解できないと思います。
国家の法と武力に服従することでうしろめたさを抱えなくていいとなれば、その方がよいと思ったのでしょうか?

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