生命は、出生とともに始まったのでもなく、死とともに終わるものでもないことをを信ずる者は、それを理解することも信ずることもできない者より、容易に善き生活送ることができる。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
肉体的な生き死にだけを意識する人生では死の恐怖を克服する事も、本当の生きる喜びを知る事も難しいので、宗教的に善い人生を送る事ができないという事を言っています。
肉体的では無い生き死にとは何かというと、もちろんここではトルストイ的なキリスト教観でのものになります。
そもそも肉体はこの世で活動するためのただの器であり、人間性の本体は神から分たれ器に納まった魂そのものであり、これは神の一部ですから完全性(不死性)を持ちます。肉体が死んでも魂は滅ばず、神に還るという考えです。
つまり、この身への出来事は魂の活動に比べてば取るに足らない事であり、人生をどう生きるかという事についても、魂の活動を今しかできないこの肉体を使って実践する事というようなわけです。
そんな生き方であれば生き死にや快不快は問題にならないし、魂の活動、つまり(宗教的な文脈での)精神的成熟を人生の目標に据えて張り合いのある人生を送れるという事です。
反対にその様な考えを持たない人は自分の肉体がかわいいし、それを損なうのが恐ろしいし、もっと可愛がるために欲望を持ちます。それが葛藤となってさらに苦しみ、目の前の欲求に対処するので精一杯な行き当たりばったりな人生を送る事になるぞというお説教なのです。
仏教では煩悩を捨てるのが大事と言いますが、では捨ててどう生きていったら?というところをうまく拾っているのがトルストイ的キリスト教のいいところかもしれませんね。
コメント