『文読む月日』-6月27日

文学
水をいっぱい入れた容器をこぼさないようにするには、注意深くまっすぐに持つことである。刃物を鋭利にしておくには、絶えずそれを磨くことである。もし君が真の幸福を求めるなら、自分の霊もそうしなければならない。(『老子』)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

前の2文は『老子』の9章からの引用だと思われます。最後の一文はトルストイが加えた文だと思います。少なくとも『老子』9章の主要な解釈とは外れているように思います。
(この本では結構こういうことやってることが多い)

老子の9章の全文はこんな感じです。

持してこれを盈たすは、その已むるに如かず。揣えてこれを鋭くするは、長く保つべからず。金玉堂に満つるは、これを能く守る莫し。富貴にして驕るは、自らその咎を遺す。功遂げて身の退くは、天の道なり。

いつまでも器を満たし続けようとするのは止めたほうが良い。 刃先を鋭く尖らせればそれだけ長持ちしなくなる。
というような、何か目的に達成したらそれを長続きさせるのはどんなことでも難しい、ということを言いたいのが前半のたとえ話と言われています。
トルストイは、盆を注意深くもてばOK、刃先もずっと研ぎ続ければOKと訳しているようですね。
後半の文は、何かやり遂げたら引退した方がよいという内容に読まれることが多いのですが、トルストイはさらに深読みして真の幸福を求めるなら注意深くストイックに霊に資する生活をせよという話にしていますね。

色々誤訳なのか手心なのかわかりませんが、言いたいことに対して引用元を間違えているような気がしますね。

とはいえ、『老子』の主題である道と調和して生きることと、トルストイの信仰の主題である霊に従って生きるという考え方には親和性があります。
老子は世界が道からできたもので、人間は道と調和して生きることが理想だという考えを持っていました。
トルストイは、常に自分の中の霊(理性)を第一にし、その良心に従って生きることが理想という考えを持っていました。
トルストイの目を通した時、神と道、道に従うことと良心に従うこと、自然に生きることが神への奉仕になるという理屈は筋の通ったものとして見えているのだと思います。

まあ、『老子』は時の君主に顧問指導するような意図があったようですので相容れないこともあります。
まあ、こういういいとこどりはadiaphoraなのでしょう。

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