人々が人肉を食って、それを別に悪いことと思ってない時代があった。今でもまだそうした野蛮人がいるにはいる。でも人々は次第に、人肉を食うことをやめていったのだ。同様に今でも人々は、次第に動物の肉を食うことをやめつつあり、まもなく彼らが、現在人肉に対して感ずる嫌悪感と同様な嫌悪感を、動物の肉に対して感ずる時がやって来るであろう。(ラマルチーヌによる)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
人肉食を通常の食事にしている民族がいるというのは当時の偏見からくる間違いだったと思いますが、儀式や非日常の演出として人肉を食べる文化があったことは確からしいですね。
人肉食がどうこう、ということはポイントではないので話を戻すと、肉食が宗教的に間違っているのではないかという機運が高まっていた時代のようですので、新鮮味のある敬虔な(立派な)考え方と捉えられたでしょうね。
命を奪う行為に際して感じる同情の心を信仰に当てはめたということで、それまで人に食べられるために神に作られた家畜という考え方がもっと現実的な方向に移ってきた証のようにも思えます。
栄養学や発達についての認識はまだまだ薄い時代だったでしょうから、健康な発育生活に関係するという現実にはまだ意識は向いていないのだと思います。
同情心、良心と肉体に必要な物質という葛藤への折り合いは現代でもまだついていませんね。
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