『文読む月日』-6月11日

文学
罪悪を避け、それに打ち克つためには、何よりもまず、すべての罪悪の根源が悪しき思想にあることを認めねばならない。われわれはすべて――われわれの思索の結果にすぎないのだ。(仏陀)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

心が思想に、思想が言葉に、言葉が行動に、行動が習慣に、というのはどこかの自己啓発本で見たような言葉ですね。

『法句経(ダンマパダ)』では、下記のように書かれます。

諸法は意に支配せられ、意を主とし、意よりなる。
人もし穢れたる意を以て、或いは語り或いは行わば、苦の彼に随うこと、車輪が牽獣の足に〔随う〕が如し。
諸法は意に支配せられ、意を主とし、意よりなる。
人もし浄き意を以て、或いは語り或いは行わば、楽の彼に随うこと、影の〔形に随いて〕離れざるが如し。

『法句経』は原始仏教の時代の経典という見方が強いものですので、仏陀の考えと近いと言えるでしょう。
ここでは色々な行為は意志によって生まれ、悪い事を思って悪い事を行うと苦しく、善いことを事を思って善い事を行えば影が付いてくるように楽が付いてくるというようなことがかかれていますね。

現代でも認知行動療法(CBT)に見られるように、考え・行動を認知で強制していくことは自分の考え方や感情をコントロールするうえで有効だとされていますから、仏教はすでにその原理を見抜いていたということですね。
仏教はうつ病と戦ってきたんですかね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました