『文読む月日』-6月10日

文学
来世を信じうるものはただ、それの意識のなかで、この世には存在しない世界との新しい関係を打ち建てた者ばかりである。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

キリスト教には来世はありませんから、ヨソの話という感じがしますね。
ヨソの人は何を言っているのかというと…というような話しぶりに感じます

来世を信じるということは、来世という世界が物理的にあるのではなく、意識の中で確信しているということですね。
神を信じるみたいに意識の中に直感で確かに存在を理解するという感覚なのだと言っているようです。
神の国は人の内にある。のような感覚ですかね。

一方で、日本人としては輪廻転生はなじみ深い概念ですし、特に宗教や信仰について考えたことが無い人でもナチュラルに受け入れられると思います。
私として別の世界に行くのか、別人として現世に戻ってくるのかで色々意見はありそうですが、大事なのは心の中に信じる対象との関係性を打ち建てる必要があるということですよね。
なんとなく、というだけではなくその対象に関する深い内面的な体験を通して関係性をもつということが必要、ということです。
さらにそのようなことをするのは大変なことだから、そのような人へはリスペクトが必要だ、ということも「打ち建てた者」という表現に暗示されているような気がします。

キリスト教の人の心に神の国があるように、捉え方は違えど来世という考えも成り立ちうるという異教人類との融和のための説明なのではないでしょうか。

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