死は同意で、それゆえ、また道徳的行為でありうる。動物は息が絶えるだけであるが、人間は自分の霊をその創造者に委ねなければならない。(アミエル)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
死は同意で、というところに同意できない人が大半ではないでしょうか。
おそらく、我々は死を認識できる、くらいに受け取ればいいのではないでしょうか。
動物は理性がなく(と思われていたことを前提に)、死を認識できないためにそれに特別な意味を作り出すことはできません。
意味づけのない出来事はただの事象として過行くだけですが、人間は死を認識し、意味を見出せるために道徳的行為でありうるという考えですね。
そして、その先の意味合いとしては、いつ死んでも悔いのないように人生を霊の浄化(善の実践)に捧げよう、という生き方の指導に繋がります。
動物は息が絶えるだけである・・・信仰なく死んだ人も同じと言えそうな乱暴さも感じます。
他者を貶めて自分たちの特別感を演出するようにも見えますが、考えすぎでしょうか。
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