己れの霊を浄め、疑惑から解放された人にとっては、天は地よりも近い。五官が与えるすべての知識に通じている人でも、物の真の本質を知らなければ、なんら益するところはない。あらゆるものについての真の知識とは、そのなかに物自体としての真の本質が潜んでいることを悟ることである。(インドのキュラール)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
インドのキュラールというのが何か分かりませんでしたが、調べてみたらティルヴァッルヴァルの『ティルックラル』という古代インドのタミル文学に近いものがあるようです。
この本は2行詩で法、財、愛のインドにおける3大観念について表現しているらしく、箴言集ともみられているようです。
古代インドの哲学思想として、タットヴァ(本質)の追求をすることは悟りへ近づくことですが、やはり肉体的な感覚では掴めないと考えていたようです。
物事の本質は感覚を超えた直感で得られるものであり、それを求める人たちにとっては疑うことができないものだったようです。
また、それは色々な本を読んでいるとそれは神や霊を信じるにあたり最初に必要なことだと思います。
つまり、直感的に感じられる神秘的なことが古今東西を問わず普遍的にあったことだと言えますね。
例えば、プラトンのイデア論には現実世界は影にすぎず、真の知識は本質的世界の認識にあるという風に考えたり、仏教では無我・空の考えとして物事に固有の本質はなく、執着を離れてこそ真理に近づけると考えたりしていますね。
トルストイの道徳観も「内的な真理」を探究することが人生の目的であるという点で親和性のある内容だと思います。
ところで、ティルヴァッルヴァルの『ティルックラル』って口に出して言いたくなりますね。
古代インドってそういうの多いですよね。
コメント