ある人が不幸な生活をしている場合、その原因はただ一つ――信仰の欠如である。社会全般についても同じことが言える。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
今SNSでこんなこと発信したら炎上しそうな内容です。(そうは言うものの、ほとんどの炎上は発言者の背景や思想の立場が見えずリスペクトを置けていないからだと思いますが)
まず私の立場との違いとして霊の成長を肉体より(何より)も優先すべきという信仰の前提でこの文章が書かれていますから、同じ土俵では物事を考えられないというのはあるでしょう。
同じ土俵に立った時、霊の生活を第一に捉えればこの言葉は本当と言えると思います。
それは、善の実践こそが幸福への唯一の道でありそこに信仰心以外は必要ではないからです。
度々書いていることですが、大切な人や自分が害されるようなことをありがたい試練だとは考えられないと思います。
霊の成長に必要なんだとしたら、他の霊に加害をさせる必要もないと思います。
自然災害や病気なんかで試練を下すのであれば神の思し召しを感じられるでしょう。
神様が自分の霊に向かって「バカは死んでも治らない」と思われたのかなと思ってしまいます。
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