温柔をもって憤怒に、善をもって悪に、仁慈をもって吝嗇に、真実をもって虚偽に克て。(『法句経』)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
悪に酬いるには善をもって為せということがテーマですね。
法華経が出典の箴言ですが、今まで見てきたトルストイのキリスト教観の中には「善悪不二」という考えは出てきていないと思います。
善悪不二というのは、仏教の根幹である縁起に基づいた考え方で、善と悪は本質的には同じものであり二つに分けることはできないという考え方です。
ゾロアスター教からキリスト教にかけて善悪二元論が説かれてきている中で、仏教ではまた違う視点の考え方が出てきます。
似たような話題として、「煩悩即菩提」という言葉もキリスト教的には発想の違う考え方ではないでしょうか。
禅思想のようですが、煩悩こそが悟りの根源であるという考えですね。
善の根源は悪であり、悟りの根源は煩悩である。どちらも表裏一体で円のような関係に思います。
キリスト教では善悪は対極にあり、聖人と堕落は対極にある数直線のようなイメージを持ちます。
私は日本で育ちましたから仏教の考え方の方が肌に合う感じがします。
人間の不完全さを認めつつ比較に完全な神を持ち上げ説明しようとした宗教と、人間の不完全さを見つめ現象と心を説明しようとした宗教という印象です。
視点の違う宗教ですが、トルストイは古今東西の宗教から自身の持つキリスト教観に共通する親和性の高い思想をピックアップしていました。
この法華経の言葉もキリスト教ナイズして解釈したものと思います。
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