『文読む月日』-4月29日

文学

自分だけのためなら、つまり自分自身に仕えるためなら、なるべく健康でなるべく強力でなければならないが、神に仕えるためなら、それが必要でないばかりか、しばしばその反対の場合がある。

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

自分自身のために頑張るというと、自己保存、肉体の尊重ということが人生の第一義になるでしょう。
しかし、人生の第一目標を信仰に据えるやいなや、自己犠牲、他者への無償の愛が第一義になりますから、しばしば反対の場合があるということですね。

聖書には、パウロが「私が弱いときにこそ、私は強い」(コリントの信徒への手紙 第二 12:10)ということを言っている場面がありますね。
肉体的・世俗的に弱いときにこそ心から神を求めることができる・・・というと真に信仰心が強いのか分かりませんが、ひとまずそのように解釈されているようです。

トルストイの著作では心が健やかな人は身体も健やかなので、第一義が肉体の保存、強化ではないにせよ、信仰に生きることができる健やかな精神を持つ人には健やかな肉体がふさわしいという考えがあったのかもしれないと思うことがあります。
病気などで苦しんでいる信仰に篤い人は度々出てきますが、そのような人は主人公に信仰に対する神秘的な印象を与える装置として出てくることが多いです。
生き生きと描写される主人公をはじめとしたメインキャラクターで信仰によって善の人生を歩む人は健やかな肉体を持っています。
やはり人間は健康が一番ということは否定できませんね。

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