『文読む月日』-4月20日

文学

われわれは他人のために生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。一見不思議に思われるけれど、実践してさえみれば、本当だということがわなるだろう。

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

個人的には、大人になってからこのことをよく感じますね。
ある程度歳をとってくると自分のためだけに生きていくのに飽きてきます。
他人のために何かやってみるとタスク感というか、宗教的な意識であれば人間の義務のような感じに捉えるのでしょうか、自分のために何かやるときとは感じ方が違って頑張る意味を見出せるようになる感じがします。

これが若いときにも同じように作用するとは思いません。
物質的な欲求も歳を取ると若い時よりは弱くなります。
大人が精神的な行いをするのと若者が精神的な行いをするのでは、肉体を起因とした難易度が全然違うと思います。
肉体が元気なうちは物質的な欲求が高くなり、それが歳をとると落ち着くというのは自然の摂理で、物理現象だと思います。
なのでやはり若いうちは信仰を理解しようとすることは難しいでしょう。
信仰は肉体が衰えてからハマるのがいいと思います。

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