悪の芽生えを監視せよ。その芽生えを指摘する霊の声があって、それが芽生えるや、われわれはなんだかばつが悪く恥ずかしくなるはずである。その声を信ずるがよい。そのとき立ち止まって探したら、きっと芽生えつつある欺瞞を発見するであろう。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
トルストイが一貫して主張する、良心に従って生きることの具体的な方法ですね。
世間体や社会からの要請よりも、自分の内にある良心に応えて生きることが人生の善い生き方であり道徳的完成への道であるということですね。
というのも、良心というのは神から分かれた霊(精神)のもつ性質で、神が善い生き方を示してくれるから、というのが前提としてあるわけです。
前提の部分から急にキナ臭くなるのは、日本人にとって良心は身近ですが、神は遠いのと、現代科学が精神は肉体が作り上げるものと分かってきているからですね。
違う文化の、しかも科学が今より発展していない時代の素朴な観察から得られた深い洞察・・・というふうに捉えられるわけですが、しかし良心に従って生きることという考え自体は間違っていないように感じます。
ある同一の感情から違う解釈が起こり、結果としては収れんして同じ行動を推奨しているということはある一つの真理といえそうなワクワク感があります。
良心というものが誰にでもあるかは証明できませんので完全とは言えませんが、一般的には適用できる考えだと思います。
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