『文読む月日』-3月29日

文学

自己の悟性を自己の傾向性の上に置くこと、それが節制というものである。そのことに関して教会の師父の一人が、それは善そのものではないが、善にとっての大きな仕事だと言っている。(ジョンソン)

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

この言葉の意味を考えると、理性(悟性)を 感情や欲望(傾向性)の上に置くことが 節制である、という風に読めそうです。
ジョンソンが引用している「教会の師父の一人」については分かりかねますが、アウグスティヌスやトマス・アクィナスのような神学者の思想に近いものがあります。

この日のテーマは欲情を制御することだったのですが、理性を感情の傾向の上に置くということで肉体的な世界に振り回されず理性の生活を実践できるという文脈でしょう。
つまり、理性を感情の上位存在として意識して、理性が感情を導くようにすれば善の方向を進むことができるという理解です。

善の実践ということを目的としたとき、節制は目的自体ではないですが、それを達成するために大きな助けになるということで節制の大事さを説いています。
キリスト教ではストア派哲学のような禁欲が重視されてきました。
ロゴスの方がパトスよりも上位におき、不動心を養うことが目的とされていたようです。
ジョンソンのこの箴言と親和性の高い内容ではないでしょうか。

とはいえ、人間の生物学的な性質として、理性は感情を裏付けるために働くことが分かっていますのでこれを実践しようと思うと相当難しいと言えるでしょうね。
人間にとっては感情が結論を決めてから理性が理由をでっち上げるというのが当然の機序なのでそれを訓練や信仰心で克服できるかが問題ですね。
は今までの歴史の中で多くの人間は達成できてこなかったことです。

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