その生涯が絶えざる勝利であるような人、無限なもの、真実なるものに向かって精進するために、人々の賞讃のなかにではなくて自分の仕事のなかに支えを見出している人、世間に目立たず、目立とうとも思わない人――そんな人を尊敬するがよい。そのような人は、前もってそのために苦しみを受けることがわかっていながら、世人に罵られるような善行を選び、それを滅ぼすために、それまでてんでんばらばらだったすべての敵が一丸となって襲いかかるような真理を選んだのである。至高の善は常に俗世の掟に反するものである。(エマスン)
俗世間から非難される人々なかに、すぐれた人を探し求めよ。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
老子の中に出てくる君子のような存在を想像してしまいますね。
真理はなかなか得られない→俗人は真理とは程遠いところにいる→その人らと反対のことをすれば善いことだ
というなかなか乱暴な理屈に見えます・・・
真理というくらいですから相対的な考えではなく、絶対的に真理というものがあるはずですから間違っている人を見ても間違っていることが分かるだけではないでしょうか。
正しい道が分からなくとも何をすべきでないかということだけは分かるものだという旨の箴言も以前出てきていましたね。
俗世の暮らしは間違っていても、その反対をすることが正しい道とは限らないというのも一緒ではないでしょうか。
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