『文読む月日』-2月24日

文学

われわれは他人の前に自分を偽る習慣がすっかり身に付いていて、しばしば自分自身に対しても自分を偽りがちである。

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

なんだか生き辛さを感じている人に向けた自己啓発本に書かれていそうな文言ですね。
周りの人に気を使って自分を押し殺してしまうのではなく、殻を破ってキラキラ生きよう
という風には読まず、
宗教的に善い生き方をするのが人間の本来の姿であるという前提のなかで、それをしないのは自分の良心を偽っている(から良心に従って善い人生を生きなさい)という風に読むのがトルストイ風だと思います。

物質的な欲求の溢れる社会で、精神的な欲求に従って生きるのは困難であるというのはすべての人がうなずけると思いますが、精神的な欲求に従うことがすべての場合においてよい、ということには意見が分かれると思います。
昨日のショーペンハウエルともつながりますが、良心に従って生きることが善いことに繋がるとは限らないというのが実際だと思います。
人間が神による被造物で、神の恩寵を受けているという前提が、人間は理性的で道徳的だという理想を押し付けているようです。
むしろ人間の動物的感性の進化系が理性であって、暴力や不道徳には社会からのペナルティを課す、いわば今まであった人間に普遍の社会の中で善い生き方を探すことが必要だと思います。

古代ローマにあって弱者だったガラリヤの民に結束と反体制の意思を啓いたイエスも、このような宗教的に意義深い言葉のように見えることを、実際には反体制派を勢いづけるために使っていたと捉えるのが現実的なのではないでしょうか。
そして実際体制側(国)に磔刑にかけられています。

興奮や感動はありませんが、理想や脚色を無くして実際の人間を直視し、人間対人間、個別個別に平和的対処を見つけていくことが唯一の善い生き方なのではないかと思います。
その中で他人に偽ることが必要なこともあれば、自分自身に偽ることも必要なのではというのが持論です。

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