『文読む月日』-2月23日

文学

人間は理性的存在者である。だのにどうして、社会生活を処理するにあたって、理性によらないで、暴力によるのだろう?

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

人類皆理性的存在者というところが理想論な感じがしますが、非暴力には賛同したいと思います。

理性という言葉もふわっとしていますよね。
ショーペンハウエルによると、理性とは単に概念を扱える抽象的な思考能力であるという、現代の自然科学とも親和性のある定義づけをしています。
理性は単に高度な思考能力ですから、複雑な社会や人間関係を時系列をもってうまくやっていくことが理性のうまい使い方と言えます。
なので条件によっては理性によって大量虐殺や教義に反する計画を実行し得るということのようです。

人間としてはこの理性を使って平和的に物事を処理していきたいものですが、それですべてが片付くのは理想の中だけでしょう。
歴史的に見ても、理性によって大きな悪行が行われてきています。

トルストイは度々ショーペンハウエルを引用しますが、この理性に対する考えは大きく違っていそうです。
ショーペンハウエルは現実的な人間像を持っていますが、トルストイはカントのように宗教的に高尚な人間像が本来の人間だ(であるべき)と考えていそうです。

この箴言についても、思想は賛同できますが、理性的存在者という前提に齟齬があるため論理には賛同できませんでした。

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