額に汗して自分のパンを手に入れることをしない人々のなかに、真に宗教的な理解と純粋な道徳性が存在することは、物理的に不可能である。(ジョン・ラスキン)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
働かざるもの食うべからずみたいなことですかね。
ただ、額に汗かくこと=労働をイメージしているとは限らないと思います。
努力によって何かを生み出したり、得ることなども含まれていると思います。
というのも、自身は貴族で芸術評論家ですので労働なんてしないでしょうからね。
ジョン・ラスキンは工業化初期のイギリスにあって、粗悪なものしか作れない工業製品よりも古き佳き手製品を好んでいたそうです。
それは、完璧な神が作った人間による製品なのか、不完全な人間が作った機械による製品なのか、という思想で裏付けされていき、ゴシック時代の芸術を愛するようになったそうです。
そういうわけで、懐古的に「芸術と職人、創造と労働が分化されていない時代」を理想としていたようです。
昔の職人が一生懸命に取り組む姿と機械がポンポンポコポコ粗悪品を生み出す様子をみていたら、頑張っている人間の方に崇高さを感じるのは今の私たちからしても一緒だと思います。
ただ、今の私たちは努力よりも結果、非効率より高効率を崇拝していますが、より理性的で合理的に宗教理解や解釈をし、道徳性の規範化が進んでいます。
宗教的理解や道徳性というのは、案外素朴な直観や感情によって語られることが多いと感じます。
そのため時代の潮流によって意見が揺れたり、揺り戻しが来たりして真理と言えるようなものが語りにくくなっているのではないでしょうか。
ちなみにこの箴言の立派な人間になるためには努力が必要だ、という見解には同意です。
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