人は善き生活に依ってのみ神に嘉せられる。それゆえ、正しく清らかで、善良で謙抑な生活以外の何かで神を喜ばせようと考えることは、すべて欺瞞であり、神に対する偽奉仕である。(カントによる)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
原理的なこと以外、つまり外面的な形式や儀礼は信仰とは言えない、内面的な徳や謹慎な行動に基づくもののみが信仰(=善き生活の実践)であるという主張ですね。
トルストイの思想でも最もよく出てくる考え方だと思います。
こういうことは素直に受け取れますが、神を喜ばせるためとか、神に嘉せられるということが目的のように書かれると引っかかりますね。
よきように解釈すれば、神に嘉せられることや神を喜ばせることというのは、実際には自分の良心に向き合って満足できる人生を送ることの寓話化という風に読めばいいと思います。
とはいえ、宗教観の問題ですから真に理解するためにはキリスト教ネイティブにならないといけないんでしょうね。
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