悪党の最後の隠れ家――それは愛国心である。(サミュエル・ジョンソン)
トルストイは無政府主義と言われることがあるそうですが、そのような内容の日です。
あくまで自分の良心(神の愛)のみが正しいうえ、国家は裁判や警察や土地所有など小説を通して批判してきた社会の仕組みの権化ですので、当然それを愛させるのは間違いであり、そのような人は迷妄に陥っている、という思想です。
国を愛させることで他国の人を憎ませる、他人を裁く、暴力で支配することに繋がると考えているようです。
トルストイの著作の中で神の愛というのは自己と他者の合一、非暴力という風に扱われています。
思想的に正反対な性質というわけですね。
大学生の頃トルストイのこのような思想に触れて衝撃だったのを覚えています。
国は暴力機構を持ち、本来人は人を裁く資格などなく、法は支配者にいいように作られている――
それが体制側の貴族トルストイが積極的に発信したというのも面白いですね。
実際のところ、国はわれわれにとって不可欠だと考えていますが、それでも国が自分の親のように振る舞うことを期待し求めることは何か間違っているのでは?というのは今でも自分の思想の一部として意識しています。
すこし話が脱線しますが、大学の頃憲法の授業をとっていました。
その教授が、今の日本国憲法は原文が英語だから意味が通らない。GHQが作成したのだから文化的にも相容れない。それを運用していくのは無理がある。という主張をしていたのを思い出しました。
曰く、憲法が誓う相手はキリスト教の神であり、憲法成立の前提には「万人による万人に対する闘争」があり、そして日本にはそのような文化背景が無いので日本での運用には適さないと。
今、上記の内容に関して同意も否定もしませんが、法治国家の大前提を疑う姿勢に上記と同じような衝撃を感じたことを覚えています。
現代では愛国心というのは薄まりつつあると思っています。インターネットが世界を見えやすくしたことが大きい要因だと思います。
普遍的な題材というのは時代の変化によって趨勢が実感として得られるのが面白いところですよね。
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