学問とは、通常人々がその名で呼んでいるものではなくて、より高い、人々の幸福にとってより必要な認識の対象を取り扱うものである。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
学問については度々取り上げられますが、主張は一貫しています。
・幸福に生きるために必要なものだけが必要
・悪書は有害、多読は毒
・あたまでっかちな知識は不要
・実生活に役立つ実学だけが人びとにとって必要な学問
など。
トルストイが生きた19世紀~20世紀初頭は、急激に科学が発展した時期でもあります。
ロシア帝国でも機関車が運用されたり、電気が使われ始めたり、ダーウィニズムが広まったり。
自然科学が隆盛してきた中で宗教として信じられてきたことが神秘ではなくなってきた中でも神性を成り立たせようとした姿勢も見て取れます。
そんな中で学問については、ものによっては実生活には幸福をもたらすどころか害悪をもたらすことの方が多いと考えていたようです。
特に農民に対しての教育については、この考えがよく顕れていると思います。
しかし、トルストイ自身は貴族ゆえの高度な教育を受けてこの思想に達したわけですから、少なくとも自己矛盾を感じていたと思います。
そして後世への啓蒙、文化的貢献を考えるとどんな学問が人びとにとって不要なのか?疑問です。
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