人間の頭脳にとって、あまりに早くあまりに多く学ぶよりも、全然学ばない方が弊害が少ない。
今の世の中はこの言葉が言われた世界からは想像できない状況だと思いますが、この言葉の含蓄はそれでもいい受け取り方でできそうです。
上記の箴言は、よくトルストイが書いている、何の役に立つかもわからない高度な学問(何光年先にどんな星があるとか、それを求めるための数式がどうとか)と、誤った知識や理解に基づく判断を念頭に置いた話だと思います。(そのようなことを弊害と言っていると思われます。)
また、歳にそぐわない詰め込み学習など、「あまりに早くあまりに多く」というのが人間にとって不自然であると思っていたのではないかと思います。
しかし、それが今の人口増大、文明社会を作り上げているわけですから、現在の視点ではパッと見間違っていそうと思います。
それでも、トルストイが重要だと考えていた実践と経験を通じて得られる知恵、特に善く人生を生きる知恵というものは人間が肉体を持って生きる以上どんな時代にも必要とされるものだと思います。
それは、実際の生活の中で得られる生きた知識や経験から得られると言っているように思います。
ところで、楽をするために努力をするではないですが、現在のような高度な学問が発達したことによって生成AIが登場し、その活用によって人間が学びを厳選することができるようになりつつあると考えれば、より多くの人が全然学ばなくても幸せに生きることができるような社会が現実に見えてきそうです。
もちろんAIにはまだエネルギー問題や回答精度、無感情なコミュニケーションなど人間と深くかかわっていくには課題がありますが、思想は違えど今日の箴言が示唆しているような、適切なタイミングで、最小限の学びを得られる社会に近づいているような気がしています。
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