似而非信仰の要求に屈すること――そこに人々の不幸の最大の原因がある。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
似而非(えせ)信仰を求めてくる主体として、トルストイの作品の中で最もよく出てくるのは当時の教会キリスト教と国家です。
小説の中でも、結婚式を執り行う司祭、裁判官、警察署長や刑務所長などは、よく社会に求められるように振る舞ったために不道徳な行いをしたり不幸になったり、同情的に描写されていたりもします。
(特に一部の上流階級のための)社会体制を保つために体制側に求められる不道徳の根拠となるのは、だいたいが似而非信仰で、それに屈する本人はどこか不道徳を感じながらも世間体や組織からの評価のために不道徳な行いを全うしてしまいます。
逆に、素朴な、シンプルな感覚から行われる道徳的行為に基づく生活、個人の自立した内面から行われる行為は幸福の礎のように描写されることがよくあります。
本物の信仰とは、人びとの内面に根差す倫理や愛からくるものであり、誰かの利己心からつくられた儀式、形式や他者からの強制によるものではないという考えですね。
信仰は、押し付けられるものではなく自発的なもので、個人を束縛するものではなく他者と結びつき心が自由になるもののはずだ、という思想が表れていると思います。
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