その肉体が安逸と奢侈の淵に沈み込んでいるときにも、精神的な高尚な生活ができる、と考えている人々は、とんでもない思い違いをしているのである。肉体は常に霊の最初の教え子なのだ。(ソロー)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
肉体と魂の二元論の立場にあるトルストイがこの箴言を採用しているのは、どのような考えだったのか気になります。
肉体が魂に影響を与えるという考えには理解を示していたわけですから、魂が完全に別物であるとは考えていなかったのでしょうか?
現代的に言えば、魂は肉体が作っているという風に考えるのが一般的だと思いますが二元論で考えていくとこの考えは成り立ちません。
慣習や無思慮な生活が信仰とは真逆の生活をさせることになる、という表面的な捉え方であればこの箴言も共存できるかもしれません。
しかし、率直な印象では二元論から物質論への転換を想像させるような文章であるといえないでしょうか。
出典はアメリカの超絶主義の作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローですが、自然に適応した素朴な生活をして個の自立を目指したということで、資本家的な生活を批判する立場であったようです。
超絶主義自体がキリスト教の中でもスピリチュアルな分野ともいえますので、直感的に素朴に過ごすべきという考えのもと肉体と霊の関係をあげただけかもしれません。
少なくとも、霊が肉体によって作られているとは考えなかったでしょう。
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