信仰は、賛成者の多数で決まるものではない。賛成者が多数であることが、その信仰の真実性のしるしと思う人は、信仰のなんたるかを知らない人である。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
多数決は単に集団をまとめるためのツールであり、信仰は集団に合わせなければいけないものではないので信仰の正しさを多数決で決めることはできない、ということですね。
信仰の自由が規定されているので現代日本では意識することはないと思いますが、実際の法律に照らさずとも内心は自分だけが所有するものであり、外的に強制されるものでもありませんね。
信仰の真実性というのは客観的にこうであるということができない類だと思いますが、そのことが多数決による集団の決定によって信仰の真実性が決められてしまうという誤解を挟む余地になっているのだと思います。
今のところ、真実性は真理によって担保されるものだと考えています。
それは古今東西普遍的に存在する人間の社会性と個の融和を取り持つ理論で、融和と自由の法と言えるものでしょう。
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