『文読む月日』-7月1日

文学
あらゆる真理の源は神である。真理が人間の内に現われるとしても、それは真理が人間から生ずるわけではなくて、ただ人間には真理を映しだす鏡のような性質があるということなのである。(パスカル)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

あらゆるものの源ではなくあらゆる真理の源という言い方ですね。
パスカルはキリスト教の神学者でもありました。
世界のすべては神が作り出したものと言い切らないのは何か含みがあるのでしょうか。

真理は人間が創造するようなものではなくて、世界にある法則を認識しているだけ、という自然科学的な捉え方と言えると思います。
パスカルは『パンセ』で、神の全体像は人間には理解できないと考えていたため、真理に限定したのかもしれません。

別の視点では、同時代の哲学者であるデカルトが「我思う故に我あり」という、神の存在よりも内的思考によって自己の存在を確信する態度を示しました。パスカルはキリスト教神学においてはデカルトを批判しており、『パンセ』では、デカルトの自然哲学的な態度を「無益にして不確実なデカルト」と名指しで批判するほどです。

パスカルは伝統的な神学者の立場にたっており、すべて宗教的な真理へ貢献しないと価値を見出せなかったように思えます。
つまり、ここでいう真理も宗教的な真理、つまり愛による救済や神の存在の直感的理解などを言い、物質や物理法則などの真理ではないということかもしれません。
(デカルトを批判したのは、彼が物理的法則にフォーカスして宗教的な真理から距離を置いたから、という見方もあるようです。)

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