『文読む月日』-6月23日

文学
中途半端は許されない。神の僕となれ、しからずんば人の奴隷となれ。
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

ある時は信仰に身を入れあるときは世俗に流されて、という生活では物質的な生活に重きを置いているのと同じで、力のある他人に隷属する人生になってしまうということでしょうか。
神の僕となるというのは、自分の内面を重視し、精神生活に重きを置くので世俗や物質からは身を引くことになります。
また自分の意思は誰にも操作できないと思われているのと、精神(理性)は霊と考えていますから他人には手出しができない領分だと考えられているのでしょう。

ほとんどの人が人の奴隷であり、悟りを開いた人のみが神の僕となれるといっているふうに見えますね。
背景の人生観として、人間社会は苦しいものだから内面に向き合って平安を求めるのがよい、というような価値観も見え隠れします。
嬉しくないですが、どんな聖人であっても悩んでいないイメージはありませんから、それが真理の1つなのかもしれません。

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