『文読む月日』-5月20日

文学

汝ら真理を悟らん、真理は汝らを自由ならしめん。(「ヨハネ伝」第八章三二節)

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

真理を知る人は自由であるということですが、自由というのはもちろん精神的な自由のことです。
その理由として考えられているのは、人間の心は神の一部であり神は完全性を持っているからです。

もう少し哲学的な視点では、自己の精神は確固たる信仰心(悟りや神を確信するなどとも言うようですが)があれば、他者に煩わされることなく自由に存在し得るという考え方だと思います。
心持ち次第と言えばそれまでかなとも思います。

この言葉自体は新約聖書の有名な一説の一部ですね。
文脈としては、イエスが自らを「神から遣わされた者」として語り、神の言葉に従う者は真の弟子となり、真理を知ることで自由になると説いています。

そこでイエスは言われた。
「あなたがたが人の子(=私)を十字架につけて持ち上げたとき、そのときになって初めて、私が『それである(メシア)』ということ、また私が自分勝手には何も行わず、父(神)から教えられたとおりに語っていることを、あなたがたは知るようになるだろう。
私を遣わされた方は、いつも私と共におられる。私はいつもその方の望まれることを行っているので、父は私を一人にはされない。」
イエスがこれらのことを語ったとき、多くの人々がイエスを信じるようになった。
そこでイエスは、信じたユダヤ人たちにこう言われた。
「もしあなたがたが、私の言葉にとどまっているならば、あなたがたは本当に私の弟子である。
そしてあなたがたは真理を知ることになる。真理は、あなたがたを自由にするだろう。」

今こんなこと言う人がいても全然信用なりませんが。
要は自分の仲間になれば自由になる。それは後になってから分かるからとりあえず信じて。というふうに見えますね。

前後の問答でも人々は自分が奴隷にされていることを苦にしていることを訴えているのに、自由を肉体的・立場的ではなく精神的な自由にすり替えているようにも思えますが。
あまり立ち入ったことはやめておきましょう。悪気はないんです。

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