『文読む月日』-4月22日

文学

ある人の、これは好きであれは嫌いという根本的性質は、時間的・空間的条件から生ずるものでなく、むしろ反対に、その人はこれは好きであれは嫌いという一定の性質を生まれながらに持っているために、時間的・空間的諸条件がその人に働きかけたりかけなかったりするのである。時間的・空間的に全く同じ条件下に生まれ育ってきた人たちが、その内面的自我に関してはしばしばきわめて鋭い対立を示すというのもそのためにほかならない。

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

人間の内面的多様性あるいは内的本性と言われるようなことに関しては、古代から色々言われてきていますね。
古代ギリシアのプラトンは、魂の三分説(理知・気概・欲望)を唱え、魂を構成する3つのバランスは産まれながらに人それぞれであるといったようなことを唱えていました。
中世にはトマス・アクィナスは精神の本体は天界にあり、生まれるときに肉体に合わさるといったように考えました。
近世17世紀のジョン・ロックは、人間の心は経験によって獲得されていくという経験主義を唱え、特に生まれたときは白紙の状態(タブラ・ラーサ)であると唱えていました。
近代ではショーペンハウアーは、人の意志は経験の外にある本質的な力だとし、人は自分の意志の奴隷であると説いています。これは内面の性質が外界の条件よりも決定的であるという主張のようです。

つまり、人間の気質について生得説と経験主義の大きく2つがあり、今回の箴言は生得説に比重があるように読めます。
2つをまとめると下記のようになると思います。

タブラ・ラーサ
生まれた時:心は白紙
性格・価値観: 経験・環境によって形づくられる
教育の役割:決定的に重要
違いの源泉:育ちの違い

生得説
生まれた時:すでに好悪や気質の種がある
性格・価値観:生得的な性向によって環境が意味を持つ
教育の役割:あくまで助け・方向づけ
違いの源泉:気質の違い

トルストイの思想は生得説に比重のある折衷案であるというような印象があります。
人間の精神は神から分化した霊性が宿るという考えがあり、その霊性は良心や善性といった本質を持っていると考えているフシがあります。
しかし、世俗に染まるとそれを忘れて物質的な生活を送ってしまうのが人間です。
そこで信仰に立ち返ることができるか否かが、善き人生を歩めるかどうかの違いと考えていそうです。
トルストイ晩年の傑作『復活』ではその思想が直接的に描かれていると言えますね。

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