『文読む月日』-4月18日

文学

知らないということは、別に恥ずかしいことでも悪いことでもない。誰にしても何から何まで知るというわけにはゆかない。知らないことを知った振りすることこそ、恥ずべきこと、いけないことである。

『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳

知ったかぶりはよくないという当たり前な話ですが。

それ以上でもないと思うのですが、難しく考えたら下記のように言えます。
神の無限性・永遠性と比べて、人間の有限性(物質世界の有限性)は度々言及されてきました。
この世に生きている限り、1人の人間が全てのことを知ることは物理的に不可能です。
トルストイの考えをみるに、だからこそ人間は謙虚になるべきという考えもありますし、知らないことを知ったように言う、特に宗教的事柄を歪めるような解釈や屁理屈をでっちあげることは人々に迷妄を広めることになり、最大の害悪だと取り上げられることもあります。
日常に行われる知ったかぶりはまだかわいいものですが、例えば聖書には無いことをかつての教会が「決定」したり、人々に強制したりした歴史から、反教会、反儀式に傾倒したともいえます。
このような運動はもちろんトルストイだけのことではなく、カトリックからプロテスタントが分派したことや聖書原理主義への揺り戻しなど歴史上でたくさん見られてきました。

知ったかぶりしたくなるのは人間の性ですが、それが歴史的な出来事のきっかけになっているとしたらおもしろいですね。

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