人々は気が小さくて、しょっちゅう卑下してばかりいる。そして”われ在り、われ思う”と言う勇気さえ持とうとしない。(エスマン)
『文読む月日』ちくま文庫 レフ・トルストイ 作 北御門二郎 訳
自分を卑下する人間とデカルトの命題が引き合いに出されていますね。
自己存在の証明を受け入れる勇気すらない、自己を卑下する人間というのは自身の人生(思想、行為)に責任を持ちたがらない人間という風に理解できるのではないでしょうか。
トルストイは人間の人生の目標は善の道を生きることであると考えていたようです。
そんな中自身の思想、行為に責任を持たない人間は信仰を貫いて、換言すると世俗に流されないで、生きていくことはできませんから、自己存在を受け入れ自身の思想に責任を持つことを人々に啓蒙したいと思ったのでしょう。
この本に度々出てくるエスマンが誰なのかいまいちわからないのですが、時代的にはアデマール・エスマンでしょうか。
フランスの法学者らしいですが、関連は薄そうですね。
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