もしも君が働きもしないで収入を得るならば、それはきっと誰かほかに、働いたのに収入がない人がいるのである。(メムノニードイ)
しばしば経済はゼロサムではなくプラスサムなので、必ずしも誰かが得すれば誰かが損するとは限らないということを思ってこのようなテーマが出てくると突っかかっていたのですが、トルストイがどのような時代に生きていたのか気になりました。
当時は近代化真っただ中、クリミア戦争に負けたあとのマインドで改善発展が求められていた時代です。
戦後は農奴解放、株式銀行発足、中央銀行発足、鉄道建設など急激に社会が変わっていきます。
そんな中でも依然として封建主義、土地中心の経済はソ連の社会主義に至るまで根強く残っていたようです。
長く調べ学習の結果を書いても仕方ないのでまとめると、伝統的に土地中心の経済体制だったため(ロシアの)経済はゼロサムであるという前提があったということです。
現代の資本主義もプラスサムとは言いますが、資本を持つ者と労働者の力の非対称性はマルクスが論じているように未だ解決していません。
つまり、今も昔も搾取する/される立場は見た目は違えど保たれているという風に言えますね。
トルストイが言及するのは、宗教的・倫理的な文脈です。
現代と経済の見た目が違っても、強者と弱者という土台は共通しているからこそ、現代にも通じる箴言が語り継がれるのでしょうね。
ところで、メムノニードイという人が出典とされていますが、こんな人いないようです。
ギリシア神話にメムノーンというキャラクターが居ますが、それにインスピレーションを受けたのでしょうか?
聞くところによればメムニードイを翻訳すると、「メムノーンの言葉」「メムノーンの書」などの意味を持つとのことです。
実際の思想家や哲学者の名前ではなく、トルストイが引用した架空の存在で、古代風の名前に裏付け(でっちあげ)させて自身の言葉の信ぴょう性を高めたのではないかという推察もありました。
古典のキャラクターの名前なら分かるだろうってことかもしれませんが、それって道徳的にいいんですかね・・・?
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